第2回 振袖火事と両国の発展〜その2
語り手:大江戸蔵三都内の某新聞社に勤める整理部記者。三度のメシより歴史が好きで、休日はいつも全国各地を史跡めぐり。そのためか貯金もなく、50歳を過ぎても独身。社内では「偏屈な変わり者」として冷遇されている。無類の酒好き。
聞き手:蔵前なぎさ都内の某新聞社に勤める文化部の新米記者。あまり歴史好きではないのだが、郷土史を担当するハメに。内心ではエリートと呼ばれる経済部や政治部への異動を虎視眈々と狙っている。韓流ドラマが大好き。
恋の炎が大火事に?
それでさっきの話ですけど、どうして明暦の大火を振袖火事って呼ぶんですか?
まぁ、話せばそれなりに長いんだけど、麻布百姓町、現在の六本木ヒルズのあたりに遠州屋という質屋があった。で、この店に梅野さんという一人娘がいたわけだ。花も恥じらう16歳、町内でも評判のカワイコちゃんだった。キミとはだいぶ違うけど。
フン、悪かったわねぇ。それで?
この梅野ちゃんが承応三年の春、ママと連れだって菩提寺である本郷の本妙寺、このお寺は今でも移転して巣鴨にあるけど、そこに参詣した帰りに、せっかくのお天気だから浅草の観音様へ足を伸ばそうということになった。その時桜が咲いていたかどうかはわからないけど、上野の山をうららかに散歩していたら、これが運命の出会いだな。今なら間違いなくジャニーズ事務所にスカウトされるような美しい寺小姓とすれ違った。
あら、やっぱりロマンチックな話じゃないの。
あんなに美しいお方がこの世にいるなんて…。梅野ちゃんはママに肩をたたかれるまで、放心状態。まさに「会ったとたんに一目惚れ」だな。「トゥ・ノウ・ノウ・ノウ・ヒム〜♪」
うわぁ、噂通りの音痴。でも16歳で初恋ってことかぁ。その頃ってやっぱしルックスが第一なのよねぇ。ワタシにもそういう時代があったなぁ…。
キミのどうでもいい過去はさておいて、梅野ちゃんの「恋の病」はホントに重症だった。口もきかず、食事も喉を通らずってなわけで、大切な一人娘がこれでは両親も気が気じゃない。四方八方手を尽くしてその美少年を捜し回ったけど、手がかりの一つさえない。
今なら「街で評判の美少年」とか言ってテレビとかネットですぐに見つかるのにねぇ。
そうこうしているうちに、梅野ちゃんは激ヤセ。会えないのなら、せめてあの方のお着物だけでもということで、鮮やかな桔梗紋、紫色のちりめんに荒磯と菊の模様をあしらった豪華な振袖を両親にねだった。
やっぱり生まれてくるならお金持ちの家がいいわね。ワタシなんか成人式はレンタル着物だったもんね。しかも化繊の…。
しかし、念願の着物ができると、それからは着物を愛しい人に見立てて、ひたすら哀しい夫婦ごっこ。ほどなく梅野ちゃんは力尽きて天国へ旅立った。承応四年一月、享年17歳。悲しみにくれる両親は梅野ちゃんを埋葬した後、娘の報われなかった魂を鎮めようと、着物を本妙寺に納めた。
二人の出会いのきっかけになったお寺よね。でも、そこで話が終わったら火事にはならないわよね。
そうそう、ここからが肝心だ。お寺としては、不受不施のしきたりによって法華教徒以外の振袖供養はしないということで、住職が売りに出したんだ。結局振袖は上野で紙を商っていた大松屋又蔵の娘、きのちゃんの手に渡ったんだけど、奇しくも翌年、この娘も17歳で亡くなる。
なんだかホラー小説みたいな展開ね。
で、またまた振袖は本妙寺に納められた。仕方なく住職が再び売り飛ばすと、その翌年、今度は本郷、粕屋喜右ェ門の娘いくちゃんがやはり17歳で亡くなって、またもや振袖は本妙寺に帰ってきた。住職も多少は反省したのか、亡くなった三人の親と相談して明暦三年の正月、大施餓鬼の際にこの振袖を焼いてしまおうということになった。
本当は着物が立派だったから、欲に駆られて売ったんじゃないの?お坊さんのくせに「仏の顔も三度まで」って言う言葉を知らないのかしら。
ガハハ。なかなかキミも面白いことを言うね。この事件は当時のマスコミがかぎつけて、面白おかしく瓦版なんかで報道したもんだから、当日の本妙寺境内は超満員。「いつ焼くんだ?」「早く焼いちまぇ、クソ坊主」なんて、AKBのライブ会場並みの大盛り上がりだ。
なんか話を作ってない? さっきからチビチビやって、だいぶお酒も入ってるみたいだし。
その日は風が強かったんだけど、住職も群衆の手前、早く焼かないと暴動でも起きかねないと、読経しながら振袖を燎火に投げ入れた。と、その刹那、一陣のつむじ風が北の空から舞い下りて、火のついた振袖は数メートル上空の本堂真上まで昇っていった。まるで誰かが振袖を着て宙を舞うみたいにね。直後、本堂の軒先から燃え上がった火は、折からの強風に煽られてたちまち燃え広がった。
それが「振袖火事」の原因ってこと?本当の話なら面白いけど。
残念ながら典型的な「俗説」で、本妙寺が火元という以外は何の記録も根拠もないんだ。ただ、当時の出火元は圧倒的に寺社が多かった。大抵は放火で捕まったら死刑なんだけど、寺社は寺社奉行の管轄だから、町奉行よりも捜査が手薄だったんだな。
今も昔もお役所は「縦割り」ってことね。
興味深いのはこのエピソードが、それから26年後に起きた天和の大火が発端となった「八百屋お七」事件と重なることだな。16歳のお七が避難先の寺小姓に恋こがれた挙げ句、放火に及ぶというエピソードは、この「振袖火事伝説」と出来すぎというくらい似ているんだよね。
う〜ん…。大火で家族や財産や大切な人を失った人がたくさんいたから、大火の原因がそういう理由だったら仕方ないと思えるような、純粋なラブストーリーが必要だったのかもね。
←巣鴨の本妙寺にある「明暦の大火供養塔」
歌川国輝の筆による「八百屋お七」→